『2001年宇宙の旅』における色彩表現について


2001: A Space Odyssey Official Trailer #1 - (1968) HD

 

 私は自分が好きな映像作品としてアーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督によって作成され1968年に公開された『2001年宇宙の旅』を挙げる。この作品を好む理由として色彩の美しさを一番の要素に挙げることが出来る。原作を含めて作品全体に漂う哲学性やストーリー性の面は多様な解釈が可能であるため善し悪しを客観的に判断することは困難であるが、画面上で選択的に散りばめられた色彩の数々はそれのみで鑑賞者の心になにかしらの印象を残すといえる。物語の序盤のシーンで特に印象的な部分を具体的に挙げると人類の夜明けとしてヒトザルがモノリスに出会い知能を獲得するシーンでの白と黒のコントラストである。黒は野性的で粗暴な原始世界で無機質にそこにあり異質の存在感を与えている謎の物体モノリス、白は人類の未来を決定することになった骨である。この骨は作中で道具や武器の使用を獲得したヒトの象徴的な役割を果たしている。私はこの白と黒の対比が非常に美しいと感じる。キューブリック作品全般に言えることかもしれないが、出演者よりもむしろ舞台装置として配置された小道具のほうがみずみずしい色合いが与えられ画面の中で全面にその存在感を示している印象を受ける。映画の中でこの骨はヒトザルによって宙に放り投げられ画面いっぱいに大写しになり、その後その骨は宇宙船に変化する。武器の獲得に成功した人類が地球の外に進出することができる技術を身に付けるまでに費やした果てしない積み重ねや歴史が、その刹那に凝縮されている。漆黒の宇宙に漂う白い宇宙船という関係性のなかにも、モノリスと骨と同様白黒の関係を見出だすことが出来る。

 宇宙でのシーンにおいて象徴的に用いられる色は赤である。近未来的で洗練された施設の内部はやはりほとんどが白で統一されているのだが、随所に他の色が散りばめられ効果的な役割を果たしている。個人的に印象的なのは白い空間に配置された赤いソファーである。シンプルかつ少ない情報量でソフィスケートされた画面の構成はそれだけで美しい。

 宇宙船内部で唯一ある種の不合理な意思決定を行い人間的な熱量を持っているように描かれているのは、矛盾しているようではあるが人工知能HALである。宇宙船の乗組員はむしろ無機質に描かれ、人間的な熱量を感じられるシーンはほとんどない。HALは人口知能であるため定型をもたず時には音声のみで画面に登場するが、真っ赤なカメラ・アイが随所に大写しになりHALの核がそこに存在しているような印象を受ける。もちろんカメラであるため人間のように表情の機微はそこに全くないが、画面に真っ赤なカメラ・アイが写るたびに船内で唯一の感情をもつ生命という見方が自己の中で大勢を占めていくようになる。HALが己の中で萌芽した自我に自覚的になり自らの創造主である人類に牙を剥けるシーンではその葛藤の表情が赤く染まったカメラ・アイのなかに明確に見て取れる様になる。HALは暴走し結果としてディスカバリー号船長ボーマンに機能停止させられるのだが、機能が失われていく過程で困惑や恐怖の顔が容易に目の前に思い浮かぶ。HALのモジュールが存在する内部でも赤が効果的に用いられている。

 終盤では巨大モノリスとの人類の邂逅、スターゲートへの突入、スターチャイルドへの進化など大きな山場の連続に突入していくが抽象性が高く難解なコンテクストの連続になっていく。映画作品としては終盤にかけての多様な解釈が可能なストーリーが評価の大部分を占めているように思うがここでは敢えて色彩の美しさを中心に『2001年宇宙の旅』を分析した。この作品の画面構成の美しさはシンプルな色使いによって形成された優雅さに由来するように感じる。

 

参考文献

アーサー・C・クラーク(1993)『2001年宇宙の旅』、早川書房

アーサー・C・クラーク(2000)『失われた宇宙の旅2001』、早川書房